今日は前回お伝えした通り、久しぶりに東北旅行記の続きを書こうと思います。
ここからは続きの3日目と、最終日の4日目までを一気に書く予定。4日目は野良ネコがたくさん出てきますよ?覚悟はよろしいですか?
というわけで、3日目のお話です。
この3日目は、2011年3月11日のあの日以来…ずっと訪れようと考えていた南三陸町に伺いました。まずは、その日泊まる予定のホテル「南三陸ホテル観洋」が主催する震災の語り部ツアーに参加するため、仙台のホテルを6時半に出発してホテルを目指します。
早めに出発したにも関わらず、仙台市を抜ける辺りで大渋滞。少し焦りましたが、石巻市の少し内陸側を抜け海岸沿いに出た後は順調そのもの、上り下りと緩やかなカーブが続く道を快調に走りホテルまでの距離を縮めます。
その道すがら、少し長めの上り坂をアクセルを踏み込んで一気に駆け上がっていた時、一人の青年と出会いました。
青年が立っていたのは右側の広めの歩道。徒歩での旅行の途中でしょうか、身体ごと振り返って満面の笑みでこちらを見ています。その笑顔の横を一瞬で通り過ぎ、何となく気になってルームミラーを確認。すると青年は、やはり満面の笑みでこちらを見ています。
おそらく、排圧がかかって野太い音を発するマフラーの音を聞きつけ、足を止めたのでしょう。スポーツカー好きなのかRX-7が好きなのか…いずれにしても昨今、そういう憧れの視線を送られる機会はめっきり減りました。20台前半と思しき、眼鏡をかけた少し太めの青年。貴方のような人にこれからスポーツカーを盛り上げてもらえれば…そう願わずにはいられません。
結局、目的のホテルにはツアーに十分間に合う時間に到着することができました。
大型バスに乗ってAM8:30に出発。ホテルからそう遠くない遺構を、震災を体験されたホテルの従業員の方の話を聞きながら回ります。
そこで見たこと、聞いたことについては、詳細に語ることを控えます。記憶を呼び起こすため、数枚だけ撮った写真も貼りません。思い出したくない方も多いと思いますし、他の色々な方がきちんとした考察のもとに記事にされていると思いますので。
ただ、このことについて唯一私からお伝えするとすれば、津波を受けた場所が「決して特殊な場所ではない」ということです。おそらくは小学校の頃、リアス式海岸の代表的な場所として教わった三陸海岸ですが、遺構があった場所は決して他で見られない特殊な場所などではなく、どこでも見られるごく普通の海沿いの山道に過ぎませんでした。波が押し寄せた志津川湾なんかは、むしろ開放感が感じられるほど広々としていて…。この広い範囲を遺構の高さまでを覆いつくすほどの津波が押し寄せたというのは、まず想像することが出来ず。。機会がある方は、一度ご自分の目で確かめてみることをお勧めします。これは、震災を記録した映像や文書からは絶対に伝わらない、「自分がその場に立ってみて初めて実感できること」の1つだと思います。