【おそらくは地上最後のロータリーターボ】RX-7と過ごした日々

RX-7(FD-3S)と過ごした日々のことをまったりと書いていくブログです。


RX-7という本物のスポーツカーに乗ることが出来た幸せな時代(後編)

さて、後編です。 前回は「スポーツカーに未来はないのか」というお題を立てて終わりましたが。今回はそのことについて、自分なりに思っていることを書いてみたいと思います。

 

◆スポーツカーと車を運転する楽しみについてトヨタ自動車社長が語ったこと

私がスポーツカーの未来について考えるようになったのは、トヨタ自動車社長の豊田章男氏が語ったことがきっかけになっています。

その内容は、以前に聞いた「自動運転が実用化されても、トヨタは運転する楽しみをなくさない」という話と、最近CMで流れている「スポーツカーはサラブレッドのように必ず生き残る」という話の二つです。

もちろん、直接お会いして話を伺っていないので理解は表面的ですが、その時に私が考えたことは以下の通りになります。

まず、「自動運転が実用化されても、トヨタは運転する楽しみをなくさない」という話について。

これを聞いた私は、率直に「無理だ」と思いました。それは、前回の記事に書いた通り、自動運転が実用化されてしまえば、おそらくは公道で人手による運転が認められなくなるからです。これについては、いくらトヨタが頑張ったところで揺らぐことはないでしょう。

それと同時に、私はこの話を聞いて不満も持ちました。それは、豊田章男氏に責任はないものの、トヨタ自身がそのラインナップからスポーツカーを全廃した時期があったからです。

正直なところ、トヨタ自身がスポーツカーユーザーを切り捨てておいて、「何をいまさら」とすら思いました。もちろん、運転する楽しみはスポーツカーだけにあるわけではないですが、その中核をなす人たちを一度手放してしまった影響は、決して小さくはないと思いますので。

ですので、豊田章男氏が社長に就任してから86を復活させた時も、私はけっこう冷めた目で見ていました。こんな高額な車を最近の若い人で買えるのはごく一部だし、一度スポーツカーから離れた人たちの多くはもう戻らないよ、と。トヨタ自身が切り捨てた人たちに戻ってきてもらうには、「ただの出来の良いスポーツカー」を作るだけではもの足りないと思ったのです。

それからもう一つの話、「スポーツカーはサラブレッドのように必ず生き残る」についてですが、こちらは一つ目の話から時間が経ち、かなり現実を見据えた話になった、と私は受け取りました。

私なりの解釈ですが、この豊田章男氏の話は、「スポーツカーはサラブレットのように限られた場所でのみ走ることになる」ことを示唆していると思います。具体的に言えば、サラブレッドが競馬場でのみ走るのに対し、スポーツカーはサーキットでのみ走る、というように。

そうなった場合は、スポーツカーはサーキットまで自動運転で移動することになり、サーキットに着いたら手動運転に切り替えるよう制御されるのでしょう。現在のGT-Rが、今いる場所がサーキットと判別された時にだけ、リミッターが解除されるように。

しかし、こちらもなかなかにハードルが高い話です。サーキットに行くのは大変なお金がかかりますし、普段公道で運転しない人がサーキットで全開走行、というのも無理があるように思います。そう考えると、サーキットで走るのは、一般ユーザーではなく、プロやセミプロに限られていくでしょう。

 

f:id:roid7:20190720094102j:plain

手放すまであと2か月

 

◆スポーツカーに乗るなら今しかない

さて、結論です。

ここまで読んでいただいた方には概ねご理解いただけたと思いますが、私の考えとしてはスポーツカーに乗って楽しむことができるのは、もうあとわずかな時間だと思っています。

このブログに目を留めてくださった方は、間違いなくスポーツカーが好きな方でしょう。今のうちにRX-7を手に入れて思う存分ドライビングを楽しむなり、来るべき「規制」の日に備えてサーキットを走るために腕を磨くなり、今という時間を大切に過ごしていただければと思います。

私自身は、MR2、RX-7と長い時間をスポーツカーと一緒に過ごすことが出来て、本当に幸せでした。